いなたいショーケース

反射的に投げ込んでいく実験です

許容と約束のまちづくり

先日はこちらのイベントに伺いました。

アーツ千代田3331(以後3331)がオープンしてから7周年ということで開催されたイベント。3331は千代田区の持ち物でありながら、指定管理ではなく、事業体が賃料を支払う形の民間運営を選んだところがハイライトですね。

今回のイベントもその運営スキームが全国から注目されているという話がある中で、行政マン向けのリノベーションまちづくりの意識付けがメインでした。(おそらく)

 

その話の中で自分が気になったのは、スピーカーの清水義次さんが強調していた「(3331モデルは)東京だからできる、アート施設だからできるのではなく、パブリックマインドを持った担い手がいることが重要」という話です。

担い手に出会う偶然がすべて?

スキームを持ち帰ればまちづくりが成功する幻想を抱いている人は最近は少ないと思いますが、一方で、「まちづくりがその地域にいるプレーヤーの素養ありき」という、どちらかというとネガティブな方向での論を耳にすることは今でもあります。人材を見つけられるかどうかは偶然の産物、と言わんばかりの姿勢ですね。

 

自分も土着的なまちづくりプロジェクトに関わっていて思いますが、「担い手の発掘・育成」は答えがあるのかどうかもわからない、本当に探求しがいのある分野です。

それだけに、地域で活動している人たちが依頼に応えてくれるかどうか、そもそも自分の事業としてフルコミットできる才能豊かな人材に出会えるかどうかの偶然に、プロジェクトの行方を委ねるのは少しもったいないな、というのが自分の考えです。(3331に関わる方々や、リノベリングのみなさんが担い手を運頼りにしているとは思いませんが)

 

もちろん偶然も縁も大切ですし、自分の関わっているプロジェクトにおいても、こんなに才能豊かな人たちがいるのかと思うことも多々あります。大手企業の役員経験者がフラッと地域の集まりに来てくれて経営的センスを発揮したりするのも、ローカルなまちづくりの面白いところです。

しかしその偶然を頼りにしながらも、民間主体という気持ちのいい言葉を盾にして、投げっぱなしにしてほしくない。受け手になるのではなく、1プレーヤーとして担い手の育成、ひいてはまちの暮らしに関わり続ける責任は、行政、デベロッパーなどの開発主にはあると思っています。

投げっぱなしの地域、ありませんか?

 

ヒントは「許容と約束のバランス」

3331モデルの特徴の一つとして、「公・民のバランス」のとれたガバナンスが挙げられます。民間事業者が好き勝手に活動するのではなく、評議委員会を設立し、その中でクオリティ・コントロールをしながら運営を行なうというものです。

アーティストたちの企画力、経営感覚の優れた人材によるオペレーション、マネジメント。人材の能力を最大限に活かしつつ、公共性も担保するための運営管理が両立できているところが、自分は3331モデルの中で担い手育成の一番のポイントになっているのではと考えています。

 

これからは都市部でも地方でも、行政(または開発主)が民間事業に対して許容性を持ち合わせながら、約束事を徹底させるコミットが大切なのではと思いました。

それでは、今日はこのへんで。