いなたいショーケース

反射的に投げ込んでいく実験です

理論より、現象を。

今日見たこのnoteが素晴らしかったです。   note.mu   デザイナーは様々な人の視点を持っておくといいですよ、という趣旨。まさにそのとおりで、サービスやプロダクトデザインの仮説検証において「お年寄りだから電子機器の操作に弱い」みたいな視点は固定的かもしれない。それを疑えないのは、ある種の機会損失かもしれないんですよね。

デジタルネイティブだから〜」「おじさんだから〜」みたいに主語を大きく扱う話も要注意だと思っています。仮説を立てることは重要だけど、事象を一緒くたにまとめて、無理につなげて、それを闇雲に理論として扱うのは、現象をつぶさに捉えられなくなってしまう。

最近も脱・没個性的存在を目指して、Twitterで独自的視点(に思える)ノウハウやtipsまとめを分散的に広げて、自分のエンゲージメントを高めようとしている人が目につきます。

それはポジションをとるためには必要かもしれないけど、スキルの成長やキャリアアップと結びついているのか、少しモヤモヤしています。そんなに急いで結論を出さなくてもいいんじゃないの、と。



話はそれるかもしれないですが、先週、大学時代の恩師に会いに行きました。  

大学時代のゼミ担当教員だった松井先生は社会心理学の分野でも多くのテーマで研究をされていて、御本人は自身を飽き性だと言っていたけど、未踏の分野に向かってどんどんと足を踏み入れていく方だった。もちろん先人へのリスペクトは忘れずに。

そんな先生が言っていたことが、「最近は大学院生が理論に偏重しがち」ということでした。  

アカデミックなキャリアのことについてよく知らないけど、研究で食べていく難しさはよく聞きます。学費免除や奨学金の取得で苦労している友人も知ってる。それでも、ポジションを狙って論文に理論が並びがちなのは、少し悲しい気もするんですよね。

ぼくの仕事は住民の方と一緒に、理想のまちの姿を目指して、企画や仕組みを一つひとつ形にしていくお手伝いです。時間はかかるし、もっと事例から抽出した成功パターンとかパッケージを作って、それを地域に当てはめて進めていけたらとても効率的だと思いますが、それを目指すつもりはありません。横展開していくことが目的ではないからです。
(そもそも「まちづくりに勝ちパターンは無い」という意見もあるでしょうね)

綺麗事と言われるかもしれませんが、ぼくはそれで良いと思っています。酒蔵の職人がお米が発酵する過程で温度や米の状態をじっくりと見つめるように、自分たちも一つひとつの現象に向き合っていきたいです。

まちは人であるし、人はいきものなので。

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そんなじっくりまちと向き合っている(?)弊社で採用募集しています〜
話を聞きたい、という方もよろしければ田中までご連絡ください!